株式会社キザワ・アンド・カンパニー

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葛藤に悩む日本の働き手たち


エッセイストの山本七平氏は、日本人の文化的背景として、神道・仏教・儒教が融合し、平等主義・能力主義・集団主義を重視する独自の価値観を育んできたと述べています。この価値観は、集団での合意形成と連帯責任を基本とした「一揆型」の意思決定スタイルに象徴されます。

この仕組みでは、上位者が課題や方針を示し、下位の集団がその具体化を議論・合意し実行に移します。決定がなされると、それに異議を唱えることは忌避され、結果がどうであれ全員が責任を負うという構造になっています。これにより、日本は長期にわたる平和(平安時代や江戸時代)を実現しましたが、その反面、異論が封じられ、失敗の責任が曖昧になるという問題も孕んでいます。

戦後、日本は米国型の民主主義を取り入れましたが、人々の深層にある文化的価値観は大きく変わっていません。個人の自由や多様性の尊重といった現代的な価値観に対して、日本社会は依然として十分に対応できていない側面があります。

社会学者エーリッヒ・フロムによれば、時代の経済・社会構造は人々の精神構造に深く影響を与えます。現代のような不確実で変化の激しい時代には、集団による秩序維持型の意思決定では限界が生じます。特に「異論=和を乱すもの」と見なされやすい風土では、未知の課題に対する自由な発想や提案が封殺されやすくなります。その結果、連帯責任は「誰も責任を取らない」無責任体制へと転じがちです。

このような組織文化では、次の3つの条件が欠けると意思決定システムが機能不全に陥ります。

  • 自由な意見表明と傾聴の保障
  • 前提条件の変化に対する柔軟な修正とフィードバックの仕組み
  • 方針の背景文脈を全員が共有し、相互理解が得られていること

これらが欠如した環境では、働く人々の内発的動機や「本当の自分」を表現する欲求が抑圧されます。

心理学者エドワード・L・デシが説く「自律性の欲求」や、フロムが語る「真の自由」は、このような抑圧された環境では満たされません。江戸時代から続く勤労観と文化的同調圧力の組み合わせにより、日本人は「偽りの自分」で生きることを余儀なくされがちです。つまり、組織の「和」を乱さぬように、本心とは異なる行動をとることが常態化し、「個性を発揮することは無意味」と感じてしまうのです。

この状態は心理的に不健全であり、精神的な分裂を引き起こします。脳は無意識下でもこの矛盾を解消しようとし、「偽りの自分」が主人、「本当の自分」が従属する構造が固定化されていきます。その結果、多くの働き手が心理的エネルギーを内面で消耗し、未来に向かう創造的な力が削がれ、幸福感を持つことも困難になります。

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