株式会社キザワ・アンド・カンパニー

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日本の安全保障環境の将来予測:事業経営者のためのシナリオプランニング・インサイト


なぜ今、経営者が安全保障を直視すべきなのか

今日の事業経営者にとって、地政学リスクと安全保障環境の理解は、もはや選択ではなく必須の経営課題となっています。日本は、中国、ロシア、北朝鮮という地政学的変動の震源地に囲まれ、その圧力は恒常化しつつあります。不確実性が支配する時代において、未来を正確に予測することは誰にもできません。しかし、未来に向けたシナリオプランニングの精度を高めることは可能です。本エッセイは、今後の日本の安全保障環境を形作る上で、ほぼ確実に起こる「構造的な潮流」と、その展開を大きく左右する「未知なる巨大な変数」を明確に切り分けて提示します。これにより、経営者の皆様が自社の戦略を構築するための、強固な思考の基盤を提供することを目的とします。

1 確実に起こる「新たな現実」- シナリオの基盤となる確定要素

今後数年間の日本の安全保障環境を規定する、不可逆的かつ確実視される構造的変化が存在します。これらは、楽観的な希望や悲観的な予測を超えて、あらゆる事業計画やリスク評価の前提条件、すなわち「ベースライン・シナリオ」を構成するものです。これらの「新たな現実」を直視することから、未来への備えは始まります。

1.1. 中国・ロシア・北朝鮮による「3正面」からの圧力の恒常化

日本が直面する中国、ロシア、北朝鮮からの脅威は、もはや個別の事象ではなく、相互に連携した「3正面の脅威」として構造化・恒常化しました。この連携は単なる地理的な近接性にとどまりません。中露の戦略爆撃機による日本周辺での共同飛行、ロシアから北朝鮮への軍事技術供与、さらには宇宙から海底に至るまでの共同演習など、その連携は質的に深化しています。この「3正面」からの同時圧力は、日本の防衛リソースを著しく分散させます。例えば、台湾有事という特定の事態が発生した際に、日本の防衛力を台湾方面へ集中させようとしても、北方ではロシアが、日本海では北朝鮮が軍事演習などの牽制行動を起こすことで、日米の注意と戦力を引きつけ、中国を間接的に支援する構図が常態化しつつあるのです。これは、日本の防衛計画における極めて深刻な制約条件となります。

1.2. 中国の軍備拡張と戦力投射能力の質的転換

中国人民解放軍の近代化は、単なる「量の拡大」のフェーズを終え、西太平洋における軍事バランスを根底から覆す「質の転換」へと移行しています。これは、もはや後戻りのできない現実です。

• 海軍力: 艦艇数において、中国海軍は350隻を超え、米国海軍(300隻弱)を凌駕しています。しかし、真に注目すべきは、世界一の造船能力を背景に持つ中国と、産業基盤が「壊滅的」と評される米国の増産能力の絶望的な格差です。その上で、3隻目の空母「福建」の登場はゲームチェンジャーです。従来のスキージャンプ式が自力発艦のために燃料・兵装を制限されたのに対し、「福建」の電磁カタパルトは物理的に「飛行機を叩き出す」ことで、戦闘機はより多くの燃料と兵装を搭載し、長距離作戦が可能になります。さらに、早期警戒管制機(プロペラ機)の運用も可能となり、艦隊の「目」の能力が飛躍的に向上します。

• 航空戦力: 第5世代ステルス戦闘機であるJ-20やJ-35の配備が進んでいます。レーダーに捉えられにくいステルス機は、従来の第4世代機に対して圧倒的な優位性を持ち、これまで自衛隊と米軍が維持してきた航空優勢に深刻な挑戦を突きつけています。

• ミサイル戦力 (A2/AD): 中国は、有事の際に米軍の介入を阻止・妨害する「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」戦略の要として、多種多様な弾道ミサイルを配備しています。グアムの米軍基地を射程に収める「グアム・キラー」(DF-26)や、動く空母を精密に狙う対艦弾道ミサイル(DF-21D)は、米軍の空母打撃群が台湾周辺へ接近すること自体を極めて困難にし、米国の介入意思決定に物理的な圧力をかけています。

1.3. 「グレーゾーン」における対立の常態化

軍事衝突には至らないものの、主権を侵害する行為が続く「グレーゾーン事態」は、特に尖閣諸島周辺で常態化しています。中国海警局(CCG)の船舶による領海侵入が毎日のように繰り返され、日本の主権に対する継続的な挑戦となっています。看過できないのは、海警局の質的変貌と、それに対する日本の後れです。2023年時点で、海上保安庁の大型巡視船75隻に対し、海警局は159隻と数で圧倒しています。さらに、海警局はもはや海軍からのお下がりではなく、海軍仕様のフリゲート艦を専用に建造し、日本の護衛艦と同等の76mm速射砲を搭載しています。これは、もはや「第二の海軍」です。ある元自衛隊幹部が「ぼーっとしている間にここまで差をつけられた。何をやっていたんだ」と嘆くほどのこの現状は、戦略的 complacency( complacency、自己満足)が招いた結果であり、経営者が自社の競争環境分析において決して繰り返してはならない教訓と言えるでしょう。

1.4. 南西諸島が不可避の最前線となる現実

台湾有事が発生した場合、与那国島から台湾までわずか110kmという地理的条件から、南西諸島が紛争の最前線となることは避けられない運命です。この現実に直面し、日本政府は防衛体制の「3本柱」を構築してきました。第一に、部隊配備を進め、防衛の「空白地帯を埋める」こと。第二に、情勢が緊迫した際に全国から部隊を「増強し、戦力を集中させる」こと。そして第三に、万が一離島が占拠された場合に「水陸機動団をもって奪還する」ことです。この体制構築は重要な第一歩です。しかし、同時に巨大な課題も残されています。鹿児島から与那国島まで1100kmに及ぶ広大な島嶼部で戦闘を継続するための継戦能力、すなわち燃料・食料・弾薬の補給をいかに維持するか。さらに、有事が迫った際には、先島諸島の住民約10万人、台湾在住の邦人約2万人、中国在住の邦人約10万人、合計20数万人をいかに安全に避難させるか。これらは、まだ解決の道筋が見えない、極めて困難な兵站・民生上の課題です。これらの「確実な現実」は、我々が未来を考える上での揺るぎない土台です。しかし、この土台の上でどのような未来が展開されるかは、次に分析する「未知なる変数」の動向に大きく左右されることになります。

2 未知なる巨大な変数 – シナリオを分岐させる不確定要素

前章で述べた確実な潮流を前提としても、日本の未来を左右する極めて重要な「不確定要素(ワイルドカード)」が存在します。これらは、今後の動向次第でシナリオが大きく分岐するポイントであり、事業経営者がリスク管理と事業機会の特定を行う上で、その変化を最も注意深く監視すべき戦略的変数です。

2.1. 米国の対日・対台湾コミットメントの信頼性

本レポートにおける最大の不確定要素は、米国の同盟国に対する防衛コミットメントの信頼性です。将来の米国政権が「法の支配」といった価値観を軽視し、国益を最優先する姿勢を強めた場合、その核心には「米軍兵士の命をかけて日本と台湾を守るのか」という、極めて根源的な問いが存在します。この懸念は、単なる政治的な問題ではありません。前述の通り、中国のA2/AD能力の向上により、米国の空母打撃群が台湾周辺に接近すること自体の物理的リスクが飛躍的に高まっています。この現実は、米国の軍事介入を躊躇させる強力な要因となり得ます。日米同盟を安全保障の基軸とする日本の防衛政策にとって、この変数の揺らぎは根幹を揺るがす最大のリスクであり、経営者が想定すべき「最悪のシナリオ」の引き金となり得るものです。

2.2. 日本自身の防衛体制と国民の覚悟

日本の国内政治もまた、大きな変数です。自公連立から自民・維新連立への政権の枠組み変化は、一部の安全保障専門家から「日本の夜明けと評されるほど、安全保障政策の抜本的な転換の可能性を秘めています。防衛力の抜本的強化といった「ハード」の整備が進む可能性は高いでしょう。しかし、その政策転換が実効性を持つかは未知数です。ハードの整備を支えるための法整備、国民的コンセンサス、そして継戦能力を担保する兵站体制といった「ソフト」面の変革が伴わなければ、防衛力は真の抑止力となり得ません。宮古島での市民活動家との衝突や、民間空港である下地島空港の自衛隊利用に関する国内の意見対立は、防衛力強化が国内の合意形成という高い壁に直面する現実を象徴しています。この国内要因の行方が、日本の有事対応能力を左右する重要な不確定要素となります。

2.3. 台湾有事の「Xデー」とその展開

台湾有事の脅威は現実的なものとして認識されていますが、その具体的な「時期」と「形態」は誰にも予測できない最大の未知数です。このシナリオにおいて、ロシアの役割は極めて重要です。専門家は、ロシアが台湾有事に直接軍事介入する可能性は低いと見ています。しかし、中国の侵攻に合わせて、極東で大規模演習を開始したり、核実験を強行したり、カムチャツカ半島方面へ弾道ミサイルを発射したりする可能性は十分に考えられます。このような行動は、日米の情報収集アセットと軍事リソースを北方に釘付けにし、結果的に中国の台湾への集中を間接的に支援することになります。これにより、有事の様相はさらに複雑化し、日米の対応を極めて困難にするでしょう。

2.4. 新時代における戦争の様相と勝敗の行方

現代の戦争は、宇宙・サイバー・AI・ドローンが主役となり、その様相は大きく変容しています。このパラダイムシフトは、空母のような伝統的な大型兵器の脆弱性を高めています。専門家が「宇宙から見たら空母の位置は明白に分かる」と指摘するように、衛星からの常時監視が可能な現代において、巨大な目標である空母が集中攻撃を免れることは困難です。「もはや空母決戦はありえない」という見方が強まる一方、中国側には広大な太平洋でA2/AD戦略を完遂するためには空母が必要というジレンマも存在します。この技術的変革は、戦争の勝敗そのものの定義をも曖昧にします。決定的な勝利が得られないまま紛争が長期化したり、サイバー攻撃などが絡むことで予測不能な形でエスカレーションしたりするリスクをはらんでいます。これは、事業の前提を根底から覆しかねない、経営者が理解すべき未知のリスクです。これらの巨大な不確実性を乗り越え、企業が存続し成長するためには、どのような視点が必要になるのでしょうか。

提言:事業経営者への戦略的インプリケーション

本レポートでは、日本の安全保障環境を形作る「確実な現実」と、未来を分岐させる「未知なる変数」を分析しました。「3正面からの圧力」や「中国の軍事的台頭」は、事業計画の前提となるベースラインです。一方で、「米国のコミットメント」や「日本の国内体制」、「戦争の様相の変化」は、常に監視し、複数のシナリオを想定しておくべき重要な変数です。これらの分析を踏まえ、事業経営者が具体的なアクションに落とし込むべき3つの戦略的視点を提言します。

• サプライチェーンの再評価と強靭化南西諸島が紛争の最前線となるという不可避の現実を鑑み、台湾海峡を含むこの地域に依存するサプライチェーンの脆弱性を徹底的に洗い出すべきです。代替調達先の確保、重要部材の在庫水準の見直し、生産拠点の分散化など、具体的な強靭化策に今すぐ着手する必要があります。

• 従業員の安全確保と事業継続計画(BCP)の見直し20数万人に及ぶ邦人の避難が巨大な国家的課題となることを踏まえ、特に東アジア地域に拠点や従業員を持つ企業は、従業員の安全確保を最優先しなければなりません。政府計画を待つのではなく、自社で現実的かつ迅速に実行可能な退避計画を策定し、リモートでの事業継続体制を盛り込んだBCPへと見直すべきです。

• 地政学インテリジェンスの常時監視米国のコミットメントと日本の国内合意という最大の変数が未来を左右するため、安全保障環境の変化を「他人事」と見なすことは許されません。米国の政策動向、中国の国内情勢、日本の防衛政策の進捗といった変数を継続的に監視し、経営判断に組み込むための情報収集・分析体制の構築が不可欠です。不確実性の時代において、リスクをただ恐れるのではなく、その背景にある構造的変化を深く理解し、複数のシナリオに基づいて備えること。それこそが、変化を乗りこなし、企業の持続的成長を実現するための鍵となるのです。

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