東アジアにおける地政学的緊張と終わりの見えない軍拡競争。私たちはこのニュースを日常的に目にし、一種の「仕方ないこと」として受け入れてはいないでしょうか。国際政治学の世界では、この現象は「安全保障のジレンマ」という言葉で説明されます。自国を守るための軍備増強が、結果的に相手国の脅威認識を高め、さらなる軍拡を招くという悪循環です。しかし、もしこの問題の根本原因が、単なる国家利益の対立ではなく、私たちが「国家」というものをどう捉えるかという、西洋的な思考法の「見えない前提」そのものにあるとしたらどうでしょう?本稿では、この袋小路を打ち破る鍵として、東洋哲学に由来する3つの視点を紹介します。それは、国際関係を全く新しい角度から理解し、解決へと導く可能性を秘めた、逆転の発想です。
1. 真の敵は我々の視点そのもの:「主語の論理」
ジョン・ミアシャイマー教授が提唱する「攻撃的リアリズム」に代表されるように、現代の国際関係論は、ある一つの強力な論理に基づいています。それが「主語の論理」です。この論理は、国家をそれぞれが独立し、自己完結した存在(Self-Sustaining Subject)として捉えます。
国際社会という無政府状態(Anarchy)の中で、国家という「主語」が追求すべき至上命題は、自らの生存を最大化すること。この視点に立てば、ある国の防衛力強化は、隣国にとって「主体の脅威」と認識され、他国は必然的に、自らの生存を脅かす可能性のある「敵対的な客体」として映ります。その結果、国際関係はどちらかが得をすればどちらかが損をする「ゼロサムゲーム」となり、軍事力の増強こそが唯一の安全保障であるという信念が生まれます。これが「安全保障のジレンマ」のメカニズムです。
ここで重要なのは、この危機的状況を生み出しているのが、私たちが当たり前だと思っている「国家は孤立した主体である」という物の見方、すなわち「主語の論理」そのものであるという点です。
2. 国家は真空には存在しない:「述語の論理」
この行き詰まりを打破する鍵が、東洋哲学、特に日本の西田幾多郎や和辻哲郎らの思想に見られる「述語の論理」です。この論理は、西洋的な思考の問いを根底から覆します。「国家(主語)は何をすべきか?」と問う代わりに、「国家とは、そもそも、いかなる関係性(述語)の中で成立しているのか?」と問うのです。これは「関係性の存在論」と呼ばれる考え方に基づいています。仏教の「空」、道教の「陰陽」、日本の「間柄」といった思想に通底するように、国家は、固定された実体として存在するのではなく、地理、経済、歴史といった複雑な関係性の網の目(「間柄」)の中で、常に生成され続ける動的な現象であると捉えます。独立した不変の実体としての「国家」は存在しません。
西田幾多郎の「場所の論理」を借りれば、個々の国家の行動(主語)は、常に「東アジア」という共有された生存圏(述語)という、より大きな「場」によって規定されています。この視点に立てば、共通の「場」を破壊する行為は、自らの存在基盤を破壊する自己破壊に等しいのです。自国の安全保障(主語)と、地域全体の安定(述語)は分割不可能な全体であり、片方を犠牲にしてもう一方を最大化することは不可能だという、根本的な認識転換が可能になります。
3. 新しい合理性:生存のための必須の協力
この東洋的な「述語の論理」と、西洋的な戦略思考を統合することで、安全保障のジレンマを超えるジンテーゼ(合)としての「関係的合理性」が姿を現します。これは、ナイーブな理想主義や国益の放棄を意味するものではありません。むしろ、自国の利益追求という「競争」を可能にするための土台(述語の安定)を、ライバルと共同で維持することこそが、最も高度で合理的な国益であると考える、新しい合理性です。具体的には、以下の二つの柱が考えられます。
A. 共通の生存基盤の協調的維持経済の大動脈であるシーレーンを、互いに「奪い合う資源」としてではなく、「共同で維持すべき述語」として再定義します。海賊対策や環境保護、災害救援といった分野での協力を、「信頼醸成」のためではなく、自らの生存を保証するための合理的な義務として制度化するのです。
B. 偶発的衝突の「場」の解体偶発的な軍事衝突のリスクは、不信感があるからこそ高まります。そこで、厳格な行動規範や多国間の監視システムを導入します。これは相手を信頼するから行うのではありません。むしろ「不信を前提」としながらも、誤算による破局的な自己破壊を防ぐための、必須の「システム安全保障」なのです。
結論:国益から地球的責任へ
ミアシャイマーのリアリズムは、現代世界が直面する「事実」を冷徹に描き出しています。しかし、それは全てではありません。東洋哲学は、私たちが目指すべき未来の「価値」と「可能性」を指し示してくれます。「主語の論理」から「関係的合理性」への移行は、安全保障のジレンマを超えるための鍵です。
それは、国家間の競争を続けながらも、その競争が破滅的な結末に至らないよう、競争の舞台である「場」と「間柄」を共同で守り続けるという、より高度な知恵を私たちに要求します。その意味で、現在の東アジアの緊張は、単なる地域紛争ではありません。それは、人類が「個別的な利益追求」という段階から脱却し、私たち全員が共有する「地球的間柄」への責任を負う存在へと進化できるかどうかを問う、世界的な試金石と言えるのかもしれません。

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